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海外旅行
南イタリアの旅 (3)
6.バーリーから約260㎞離れた「ポンペイ」に入る。
200年以上も前に栄え、ヴエスヴイオ火山の噴火によって火山灰の下に埋もれてしまった古代都市ポンペイ。標高1,277mのこの山は、現在は穏やかな山容を呈し、頂上は雲にかくれ、全容は見られなかったが、この山がかつて本当に大爆発により、このポンペイの町を一瞬の内に地中に埋没させたとは、とても信じられなかった。
ポンペイは、カンパニーア州の州都ナポリから南東20数㎞にある。ポンペイの遺跡に立って真っ先に見上げたのは、「ヴェスヴイオ山」だった。
大爆発を起こしたのは、西暦79年8月24日の昼下がり。
私は、2,000年前のタイムカプセルの扇を開けた。
轍(わだち)の跡が残るフォロ通りの石畳は、いびつな四角形をした花崗岩で、どれも丸みを帯びて磨り減っていていて、当時の人々の往来の激しさを示していた。
驚いたのは平坦な表面が1つもなく、滑り止めと見られる無敵の小仰き状跡が、加工されていたことである。
それにしても車道と歩道、上下水道の整備など、古代都市のロマンと石の文化の見事な感触を充分に体験し得た。
ポンペイは、1748年に発見され、発掘から250余年がすぎた現在もなお、新たな発見があるという。それによって古代ローマ人の生活が鮮やかに蘇った。特にユビテル(ジュピター)神殿が建っていた広場(fovo)のかなたに、ヴェスヴイオ山の全景が見渡せる絶好のロケーションがある
「ナポリ」は「死ぬならナポリを見てから」と言われる諺通り、世界3大美港に数えられている。ナポリ湾は紺碧の海を縁取るように、海岸線が続き、半島の岬にソレント、沖合いに浮かぶカプリ島。
港町ナポリの合言葉は「マンジャーレ」「カンターレ」「アモーレ」と「食べて、歌って、愛して」である。
「アマルフィ海岸」はテイレニア海とヴェスビイオ火山は素晴らしく、石造りの家とオレンジ、レモン畑がよく映えて風光明媚、メルヘンチックである。
「ナポリ」はかつて悪魔が天国から盗んできた町と言われ、ナポリの悲惨な様子を、天上から眺めていたキリストはあまりの悲しさに涙を流した。
すると、その涙が落ちたところから、ブドウの樹が生えてきて、素晴らしいワインが生まれたという。この伝説が、ワインのラクリマ・クリスティの名前の由来だそうです。
19世紀にナポリを訪れたゲーテはこのワインをのみ、なぜキリストはドイツで涙を流してくれなかったのだろう、と嘆いたというエピソードもあるほどである。
偶然にもこのワインを見つけて買い求めた。
いよいよ待望の"青の洞窟"を訪れる時がきた。
天候は10日間の旅行中最高の天候に恵まれ、雲一つない青色と紺碧の海の色は素晴らしい景観である。
カプリ島行きの船が出る「ベヴェレッロ港」から、予定通り出航。ベヴェレッロ港は、かなり大きくて、いくつもの船着き場がある。約60分の船旅。
カプリ島に近づくに連れて、海の青さが増してくる。海から見るカプリ島は、大きな岩山に小さな家が張りついているような印象をうけた。古代ギリシャ人は、海から見た島の形からカプロス(イノシシの岩)と呼び、ローマ皇帝アウブストウス帝は「甘美な快楽地」と呼び、好んだという。人口は約10,300人。
青の洞窟は古代ローマの時代にすでに発見されていたといわれる。洞窟に差し込む太陽光線の関係で午前中が良いそうで、我々は、午前11時に現場に到着した。

洞窟内は下から照らされた様な不思議な青い光に満ちている。洞窟内に入射する太陽光線がその付近の海水を見事に青く染めている。まさに「青の洞窟」である。
洞窟の入り口の高さは僅か1m、ボート1槽がやっと入れる幅1m程度、乗船していた我々が座った姿勢で屈んでやっと通れる大きさである。内部は長さ54m、高さ15m、水位は14~22mほど、ボートが洞窟内を一周するのは僅か数分であるが、一瞬で脳裏に焼き付くほどの美しさに出会える。小舟1槽がやっと通れるほどの狭い洞窟の入り口には、世界中から集まっている観光客の船でひしめいていた。時には1~2時間も待たされるそうである。
洞窟内に入った最初の印象は、「寂しい、そして暗い」だった。
しかし、ボートが反転して入口の方を向くと、見たこともないような独特な青い色が広がっていた。なんとも形容しがたい幻想的で、神秘的な色だ。
あえて言えば蛍光ブルー。ほんの数分で現実の世界へと戻ってきた。
その後、最高の天気と波のない海、時間の余裕から、船頭さん(以前日本の早大に在学したとのこと)のサービスでカプリ島周辺のクルージングを楽しんだ。
切り立った崖の上にはおしゃれな、超有名人の別荘がある。
ソフィア・ローレン、ジョン・レノンらが住んでいたそうである。
「ソレント(Sorento)」は半島の切り立った岩盤の真上に乗っかった、きわめて特異なロケーションの都市である。
温暖な気候風土に恵まれたこの地では、冬季にはオレンジ、イチジク、ザクロ、レモン、オリーブが斜面にびっしり繁茂し、紅梅色のブーゲンビリアが咲き、柑橘類の果実が芳香を放つ、緑豊かな別荘地と呼ぶにふさわしい町である。カンツォーネ「帰れソレントへ」と歌われた町としても、その名はよく知られている。
「ソレント」から「サレルノ」までの約40㎞の海岸線は「コスティエラ・アマルフィタ ーナ」と呼ばれ、世界で最も美しい海岸線の1つと言われている。入り組んだ岩壁の下には透き通る碧い海が広がり、谷間の段々畑ではレモンやオリーブの木が風にそよぐ。急カーブの手前で派手にクラクションを鳴らしながら、我々が乗ったバスは見事に突っ走り、車窓からは飽きる暇もない美しい風景が流れていく。1997年、世界遺産に登録された。
山の斜面に貼りついた様にカラフルな建物が建っている。
アマルフィーへの町には、かつて修道院だった、「カプチーニ・コンヴェント」があり、ドゥオーモに続く広い階段を見上げる小さな広場が美しい。ここからの目抜き通りでは、お土産屋をのぞきながらの散歩は楽しい、世界の高級店がずらっと並んでいる。
ポジターノは南イタリアを代表とする屈指のリゾート地として人気を集めている。
ボジターノの歴史は古く、9~11世紀にかけてはアマルフィ共和国の一部として商業が大繁盛した。16~17世紀には多くの画家や作家、音楽家や映画人がこの町に魅了され、住み着き、多くの作品を残した。現在もイタリア屈指の高級リゾート地として人気を集めている。
見どころは典型的な地中海式の町並みで、マヨルカ焼のクーポラが美しい。
サンタ・マリア・アッスンタ教会は町に色どりを添えている。国道沿いの見晴らし台からは町と海の眺望がすばらしい。
9日間の旅を終え、ナポリからミラノ経由で、11時間40分で成田に到着した。
8カ所の世界遺産に触れることが出来、古代ギリシャ、ローマ人の違大さに感動した。
(2007年5月31日記)
※参考:「南イタリア・シチリア紀行」
(東京書籍㈱・佐々木清著、2002年8月8日)
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