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メディカル関連エッセイ
スポーツ団体との関わり
1971年10月に開業以来、34年間、各種のスポーツ競技の救護を担当したおかげで、各種のスポーツ団体との関わりが出来た。
1972年当初、伊達赤十字病院に勤務し、日赤の救急、水安(水上安全協議会)と関わった。その年に札幌市スキーパトロール赤十字奉仕団に入会し、主に藻岩山スキー場に籍を置きスキーの安全対策とスキー傷害の救護に、現在まで微力を尽くしている。その間、スキーやスノーボードの傷害について発表してきた。
夏の札幌マラソン、冬の国際スキーマラソン大会も第1回より救護・救急支援を担当している。西岡にある札幌大学の体操部の学生の怪我を診ることが多く、その関係で久保田敏夫先生(札幌大学教授)と親しくなり、当時、教育大学におられた堀米志郎先生(札幌教育大学教授)が札幌体操連盟の理事長をしていた関係で、同連盟副会長の任を仰せつかった。各種体操競技大会に関与し、1995年に「体操選手の手の障害」について、日本臨床スポーツ医学会で学会発表を行った。
1992年、北海道歩くスキー協会の役員で偶々同じ町内に住む、今野吉博氏の要請で協会の理事、副会長に就任。現在は参与である。もともとゲレンデスキーは幼少時より行っていたが、初めて歩くスキーを始めてから、その魅力に取り憑かれ、今では冬のシーズンの半分はゲレンデ、あとの半分は歩くスキー大会の救護も兼ねて、楽しんでいる。ゲレンデとは異なり、汗をかくので、体力増強のためにも良いと思っている。
1985年に日本体育協会のスポーツドクターの資格を得てから、全日本スキー連盟競技力向上科学委員を仰せつかり、スキー選手の競技力向上に尽くしている。末の弟が昨年まで、全日本スキー連盟の理事をしていた関係で、スキー選手との交流も多く、全国大会、特に1991年の札幌ユニバシアード冬季大会、冬季アジア大会などの医事運営を担当した。この結果を「1991年冬季ユニバシアード大会の医事運営と傷病報告」と題して、日本臨床スポーツ医学会で発表した。
1993年、札幌社会体育専門学校(現在、吉田学園北海道体育大学校)の設立時に恩師の遠藤忠先生の推薦で、学校の運営の協力を依頼された。現在、特別講師、北海道アスレチック・トレーナー研究センターの顧問をしている。
2005年、北海道柔道連盟の理事長の高梨幸輔先生より、札幌市柔道連盟(会長・丸山淳士)及び北海道柔道連盟の参与を拝命された。他に要職として、北海道医師会健康スポーツ医学推進委員会委員、札幌健康スポーツ医協議会会長など務めている。
スポーツ・ドクターであることから、各種スポーツ団体より役員の要請があるが、単なる肩書きで、名前だけの申し出は一切行っていない、役員を引き受けた以上は関係する競技大会、役員会には出来るだけ出席するように務めている。
尚、パトロール関係では日本赤十字本社より銀色有功章(1995年)、金色有功賞(2001年)を、スポーツドクター関係では1993年に感謝状を日本体育協会より、日本体操協会より1993年に永年のスポーツ振興のための表彰状を、北海道体操連盟から1986年、功労賞を戴いている。
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