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セント・アンドリュース・リンクスを訪ねて

今年のGWに長男の英司(北大スポーツ診療科)が留学しているロンドンを訪ねた際、世界中のゴルファー憧れの聖地、セント・アンドリュースに足をのばした。
息子と家内の3人で、約1時間15分の飛行でエジンバラに到着。エジンバラはスコットランドの中心都市で、丘の上に建つ堅固な城の周りに広がっている街である。
スコットランドは、1707年までは独立国で、イングランドとの激しい戦いを重ねてきた。その中心がエジンバラ城である。各所の施設を見学し、永い戦いの歴史をひしひしと感じた。スコッチウイスキーの産地でもあり、ウイスキー博物館ではいろいろな銘柄のウイスキーを試飲できる。さらに日本語のガイドによるウイスキー樽の電車に乗って各地を見学、ウイスキーの歴史にもふれた。
翌日、貸し切りのタクシーで約2時間、セント・アンドリュースに着いた。有名なセント・アンドリュース・リンクス「オールドコース」を含めて7つのコースがあり、世界四大ゴルフトーナメントのひとつ「全英オープン」も5年に1度開催される。
またゴルフの発祥の地としてだけでなく、古くから学問の地としても栄え、スコットランド最古の大学で、英国のウイリアム王子が通っていたことでも知られているセント・アンドリュース大学がある。
人口わずか2万人ほどの街だが、長い歴史と奥深い魅力に、探索しようと思った。
セント・アンドリュース・リンクスの象徴である「オールドコース」は、約600年という長い歴史の名門コースである。
当初は22ホールであったが、1764年に18ホールに整備され、これが世界のゴルフコースの基準になったともいわれている。
1873年に全英オープン(正式名称:The Open Championship)がこの地で開催されて以来は、5年に1度の開催が慣例となった。
タイガー・ウッズが「この地で優勝することが究極の目的である」といっているように、世界を代表するトップゴルファーにとっても、この地でのプレーは特別な意味を持っている。
近くにはゴルフ博物館もあり、歴代チャンピオンの記録を見たり、ゴルフに関する技術や知識を深めることもできる。
セント・アンドリュース大学は、1413年に創立された。英国内で3番目に古い伝統がある。哲学者のウィリアム・ウォレス他、ノーベル賞受賞者を4名も輩出している。
学生は世界中からの留学生を含め7000人ほどで、街の人口の3分の1を占める。
セント・アンドリュース大聖堂(St. Andrews Cathedral)がゴルフコースのそばにあり、現在は廃墟と化しているが、かつてはスコットランド最大の規模を誇る大聖堂であった。
1160年から150年かけて建造されたもので、ロマネスクやゴシック様式など、複数の建築様式がひとつの建物の中に取り入れられているのが特徴である。敷地内にあるセント・ルールズ塔の頂上からは、大聖堂の全体像やセント・アンドリュース城、海岸線に沿って広がる街並みが眺められる。海辺に建つセント・アンドリュース城も現在は荒廃しているが、当時の繁栄の跡が偲ばれる。
オールドコースでプレーするためには1年前に予約するか、プレーしたい前日に申し込みバロット(抽選)で当たるしか方法がない。
オールドコースは世界最古で、「ロイヤル&エンシェントゴルフクラブ(R&A)」で知られる。コースの特徴を紹介しよう。
- スウィルカン・バーン=1番と18番のフェアウエーを横切るバーン。多くのプレイヤーはここにあるクリークで難儀する。
- 120個のバンカー=14番のロングホールの第2打地点にある「ヘル・バンカー」はこのコースの最大のバンカー。巨大な(地獄という名にしては可愛らしい)ハート形。
- スタートホールと18番グリーン=アウトとイン共有がこのコースの大きな特徴。
このコースは長い年月をかけて海と強風によって造り上げられた自然の地形をそのまま利用している。波のようにうねるフェアウエー、各種のハザード、バンカー。更にシーサイドコース特有の強風と雨。
我々3人(家内はカート)は当然オールドコースは取れず、隣にあるニューコースが取れたが、午前10時のスタート時刻に強風と豪雨に遭い、アウトの7コースしかプレーできなかったのは誠に残念であった。
1860年から開催されている最古の大会・全英オープンでも、リンクス特有の強風と突風、うねるフェアウエー、脱出困難な深いラフとバンカー…、自然のままのコースが選手を苦しめている。
優勝者に贈られる「クラレット・ジャグ」、それは“世界で最も歴史のある栄光”を手にすることになる。
ちなみに、全英オープンで、中嶋常幸プロが最終日に17番ホール(パー4)の第2打を有名な「ロードバンカー」に入れてしまい、9打を要して優勝のチャンスを逃したのが1978年のことである。このバンカーはそれ以来中嶋の愛称をとって「トミーズ・バンカー」とも呼ばれるようになった。
彼は1986年に8位に入り、世界4大メジャーで全てベストテン入りしている日本人唯一のプレーヤーである。
ちなみに今回、私はニューコースの2番ホールで、深さ約1メートルのバンカー(桶状)に捕まり、ギブアップした。
ちなみに、今年の第137回全英オープンの舞台は、10年ぶりにイングランド北西部の「サウスポート、ロイヤル・パークデールGC」。1961年、アーノルド・パーマーが16番ホールで伝説のスーパーショットで優勝したことで有名なコースである。
セント・アンドリュースの街自体が一種のリゾートの地であり、ゴルフをしない観光客や学生などでも賑わっていた。当地での有名な染織品であるタータン織の博物館もある。
タータンというのは、独特のチェック柄(日本ではタータンチェックと呼ばれている)で、キルトという男性もはく「スカート」に用いられるなど、用途は多様である。
セント・アンドリュース・リンクス近くのゴルフ博物館には、1554~1987年のゴルフクラブ、ボール、シューズ、ゴルフ用品、優勝トロフィー、メダルなどとともに、技術の変遷が詳しく解説してある。
近代ゴルフの父と呼ばれた「オールド・トム・モリス」は1821年生まれ、ゴルフと関係ない仕事(郵便配達)をしていた18歳の時、既にゴルファーとして名をなしていたアラン・ロバートソンに出会い、弟子入りした。初めはゴルフボール(フェザーボール)を作っていたが、同時にゴルフの手ほどきも受けた。その後、プレーヤーとして頭角を現す。グリーンキーパー兼所属プロとして大会に参加したのが1851年。
トム・モリス・ジュニアことヤング・トム(1851~1908)は1865年1月、彼が14歳の時、初勝利をあげ、この時から賞金を得るプロとなった。それまでのプロは、全てボールメーカー、クラブメーカー所属、またはグリーンキーパーで、彼はこのような仕事を一切せず、純粋に賞金だけを目的にした最初のプロであった。
1867年、わずか16歳で全英オープンに出場、4位となった。ゴルフの天才児の誕生である。翌年の全英オープンで初優勝する。1870年、全英3連覇を果たし、天才ぶりを発揮している。
1872年から、プレストウィック、セント・アンドリュース、マッセルバラのコースで、順番に全英オープンを開催することが決定する。この時もヤングは優勝し、全英4連覇という偉業を達成する。その後、全英において4連覇したゴルファーは誰もいない。彼はパワー・ヒッターだが、むしろアプローチに定評があり、特にパットが上手かった。
ある伝記作家は、「打球は初め低く飛び、次第に上昇し、頂上に達するや、あたかも銃で撃たれた鳥が急上昇したあと落下するようだった」と表現している。
全英オープンの3連覇によってヤング・トムが獲得した「チャンピオンベルト」は、現在R&Aのクラブハウスのトロフィー・ルームに陳列されている。
オールド・トム・モリスは息子のヤング・トム・モリスと共にセント・アンドリュースの大聖堂の中にある市民墓地に並んで葬られている。我々も訪れ大聖堂の墓地に手を合わせた。
トム・モリスのブロンズ像をはじめ、1860~2004年の歴代チャンピオンであるバレステロス、ジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、タイガー・ウッズなどとともに、岡本綾子の写真も飾ってあった。
ニクラウスが3度目の全英制覇を果たした1978年では、日本勢が大活躍した。初日、青木功が68で単独首位。2日目もトップを守り、2打差の6位タイに尾崎将司、中嶋の二人が並んだ。このゴルフ場の18番ホール左側にそびえ立つ、黄色いスコアボードに日本人の名前が輝いていた。
主役の1人である青木功は、結果的に7位に終わったが、この全英オープンが「世界」へのデビューとなった。
後に彼は「リンクスというのは、アメリカや日本のゴルフ場と違い、芝なんかない。河川敷の固いフェアウエーの上にヘドロみたいな泥が薄くベッタリと着いた状態と同じ。そこに柔らかくて細い芝が張りついてる。こんな所でターフを取るような打ち方をしたら、ヘッドがハネ返されてケガしてしまう」と述べている。
遅い昼食を海を見渡せる素敵な海鮮料理店でとった。
短い一日であったが、生涯忘れられない良い想い出となった。できたらいつの日か、オールドコースでプレーしたいと思っている。
(2008年7月記)

セントアンドリュースリンクス(スコットランド)のオールドコース隣りにあるコースにて
【参考文献】
セントアンドリュース物語(角田満弘、邸景一、三島叡、日経BP企画、2007年)
